2010年12月06日

あれから、1年。。。

ちょうど1年前の12月5日、国際ボランティアデーでの仕事が終わり、JICAの車で、家まで送ってもらってる時、私のケータイがなりました。

JICAブルキナの事務所の人からでした。
『今、久安さんの御親戚の方から、連絡があり、おばあさまの具合が悪いようで、すぐに連絡がほしいとのことです』
っと、電話番号を言われ、その電話番号は、いとこからでした。

家に帰りすぐいとこに電話すると。。。

『ななちゃん、よく聞いて。ばあばが、脳梗塞で倒れて、赤十字病院に救急車で運ばれたみたい。今からうちらも、大阪向かうから。』と、横浜に住んでいるいとこに言われました。

JICAの規定で、一親等に何かあった時じゃないと、日本へは帰れないと、訓練所にいる時から言われていたので、お母さんにはそれを、日本にいる時に伝えていました。
そのせいもあり、お母さんは、私に知らせても帰ってこれないから、逆に辛い思いをするから、私には、知らせないでと、いとこに言ってたみたいです。

でも、ドイツに留学中にお父さんを亡くしているいとこは、ぎりぎり、お葬式に間に合ったという感じで、死に目にあえなかったことが今もひっかかってるようで、自分と同じ思いを私にしてほしくないと、ネットでJICA事務所の連絡先を調べて、連絡をくれました。

いとこから、ばあばのことを聞いて、私は、涙がとまりませんでした。

すぐに、お母さんに電話すると、
お母さんは、きっと、泣いてたであろう声で、
『ななちゃん、ばあばは、意識もあるし、大丈夫よ。ばあばの様子がおかしくて、早めに救急車呼んで、脳梗塞の発作は、病院ついてから、起きたから、今は落ち着いて大丈夫よ。』と。

母にその様子を聞いて、少し安心した私ですが、母の話によると、まだ予断は許されないようすでした。

そして、5日の夜が過ぎ、6日の朝5時にケータイがなりました。

いとこからでした。

『ななちゃん、ばあばが危篤。もう意識がない。』と泣きながら話すいとこ。

私は、ことばが出ず、あふれる涙。


電話をきったあと、ばあばぁと声をあげて号泣しました。


どうしたらいいのか。。。


今すぐにでも、ばあばのもとにとんでいきたい。


でも、一親等じゃないと帰れない。


ブルキナは朝の5時だったので、とりあえず、7時まで待って、JICAの調整員の人に、電話しました。

『祖母が脳梗塞で危篤の連絡がありました。。。
。。。。。一親等じゃないと帰れないですか?』
気づいたら、泣きながらこう言っていました。

その調整員の人が、JICA所長と連絡をとってくれ、うちに来てくれ、時間はかかりましたが、日本に帰れることがきまりました。

飛行機がすぐとれるかわかりませんでしたが、とりあえず、バスで首都へ。
バスに乗る時、いとこから、電話があり。。。

『ななちゃん、ばあばね、呼吸が止まった。もう、ダメだと思う』
私は、同期に見送られ、泣きながら、バスに乗りました。

そして、いろんな人に助けられ、無事日本に帰れ、奇跡が起き、生きてるばあばに会えました。

そして、ばあばは、1年たった今も生きています。

意識はありません。。。
意識は、ありませんが、たまに目をあけたり、意識を失ってから、何度かしゃべったこともあるみたいです。

あと、10か月したら、日本に帰ります。
今は、10カ月後、また、ばあばに会えると信じています。

私は、去年の9月ブルキナに来る前、準備にバタバタと忙しく、ばあばとゆっくりご飯を食べる時間もなく、日本に帰ったら、おいしいものごちそうしたいな〜一緒に温泉いきたいな〜などと、考えていました。

なんで、ばあばが、元気な時に、もっとおばあちゃん孝行してあげなかったんだろうと後悔しました。
近くにいると、その人の大切さに気づかず、私は、後悔しました。

今できることをいっぱいばあばにしてあげたいし、お母さんやお父さんに対しても、今思ったことは今しよう!
今、こうして、ブルキナに来て、家族と離れて、家族の大切さに気づき、もっともっと大切にしていきたいなと思います。

そして、ばあばにもいーっぱいブルキナの話をしてあげれるように、残りのブルキナ生活や活動を頑張ろうと思います。

信じれば、奇跡は起きる
失ってからでは、遅い!
その時思った気持ちは、その時しっかりその人に伝えないと。


と、いうことを学びました。

感謝の気持ちは、後回しにせず、その時、その時に伝えていきたいとおもいました。





posted by ななティ at 00:00| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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